演奏会のお知らせ 

川田健太郎 ピアノリサイタル                        


 


  ロシア、モスクワに勉強の場を移して五年の歳月を振り返ってみると、
その変化に驚く。
来た当初、地下鉄はたしか7ルーブルだった料金が、毎年値上がり、
今では17ルーブルにまでなった。急激に携帯電話が普及し、
学生で持ってない人の方が珍しいし、町行く車の半分以上は外国車が走っている。
今も住んでいる寮の中でも、パソコンを持つロシア人学生も、驚くほど多い。
その急激に変化している環境に周りの人間がついていってるかというと、
頭でっかちのように、一人歩きしているような感じがする。
あまりに広大な国、ロシア。その首都モスクワは周りの町を置いて、
どんどんと発達している。
しかし、色の少ない長い冬を過ごす彼らには、やはり
芸術を求める心が根付いている。
絵画、バレエ、オペラ、何を取っても、
色彩豊かな色々が目に飛び込んでくるあの感動は、きっとこの厳しい
雪世界の中で置かれて、色に飢えているからだと思う。
毎年、長く厳しい冬は必ずやってくるが、その一面の銀世界、
環境の中偉大な音楽、素晴らしい演奏家達が生まれてきた事、
ロシア芸術の力強さに常に強烈な刺激と感動を受ける。

この長く厳しい冬を終え、町に見え始める緑の美しさに、心から
「美しい」と感じる。
美しいものを「美しい」と心から思える、当たり前のこの感情も、
もしかしたら今の世の中、薄れているような気がしてならない。

さまざまなインスピレーションをくれるここロシアでの、留学生活も
残す所あと1年ほどになった。
毎週毎週、実技、伴奏法、室内楽と忙しく迫ってくるこのサイクルに
四苦八苦しつつも、ロシア語を喋り、聞き、初めて見えてくる
ロシア音楽の魅力に、いつも驚かされる。

今年は五月末には日本へ帰国し、演奏会を頂いているので、
精力的に活動していこうと思います。
自分自身に挑戦するプログラムで組んだコンサートもあるので、
今から楽しみです。

モスクワもやっと、やわらかい日の光が心地良い季節になって
きました。


先日(十月二十五日)初雪が降り、それからは一気に冬にモスクワは入った。
季節の移り変わりを繊細に楽しめる日本と違い、
突然に予感も心の準備もさせずに冬は始まる。
  

 九月から本科三年生になったのだが、五年制の音楽院の三年目が一番授業数も多く、
先輩方を見てても大変そうだったのでこの一年を乗り切ればとの思いだ。
今年から例年以上に授業が増えたらしく実技、ロシア語、対位法、
ロシア音楽史、芸術史、ロシア史、教育法、伴奏法、室内楽、体育と今のところ
多分このような事になっている。今年から始まった体育はロシア人に混ざって体育館
(音楽院の体育館があるのです。)で運動をする。
トレーニングの機械もあるし、バドミントンや、バスケ、
サッカー等球技もやっている。今年の授業の印象だが、ほとんどどういうわけか
歴史関係なので頭の中はごちゃごちゃになる。
そして対位法(ポリフォニー)はフーガを作る授業なわけだが
和声がとても苦労した自分はきっと今後、この授業に
頭を痛めることになると今、宣言しておく。
  

  さて、明後日(十月三十日)音楽院の小ホールで年二回の僕の師トゥルーリ先生の
門下によるコンサートがある。ドビュッシーのプレリュードを弾く予定なのだが
ロシアでフランスの響きを聴くと新鮮な色彩感を感じ、フランスにもいつか
行ってみたいなあと弾きながら思う。
  
  トゥルーリの門下の男性は僕以外ロシア人で皆なんと既婚者で二人はすでに
子どももいる。レッスンの合間に写真を見せられ「かわいいだろ?」と聞かれ
最初の年は、ただただびっくりだったが、もう僕も何も動じない。
「目が特に似てるね。」ぐらい速攻で返せるし対応できる。
以前先生に「健太郎は、いつ結婚するの?」と普通に聞かれた事があったが・・・・
いやいや!!絶対おかしいってロシア人!!音楽院の学生寮の入り口には
乳母車がたくさん置いてあり、廊下では子どもたちが遊んでいる・・。
団地のような雰囲気だ。学生結婚は、この国では誰も驚かない。
子どもがいても驚かない。僕の先生ナターリア・トゥルーリもまた、
チャイコフスキーコンクールで二位を受賞したときに、すでにご長男がいたはずだ。
子どもをあやしながら、チャイコフスキーのコンチェルトを
横でガンガン弾いてる姿を不思議だが簡単に納得し想像できるのが、
またロシア人という国民性なのかもしれない。なんでもありである。
日本に帰国してちょっとやそっとではもう
僕はなにも動じない自信がある(これ関係の話では)。
  
 


モスクワの気候としては、多分一番過ごしやすい七月八月に日本人留学生の僕らは
毎年帰国して、あのうねるような湿気の日本の地を踏む。
ようするに一年間全て酷な気候の下モスクワ留学生は生活していることになる。
成田に着いたときの、あの泳いでかき分けながら歩くような湿気は毎年きつい。
しかし、なにかとモスクワでピリピリと生活していた事に気付く瞬間でもある。
なんというか・・こう・・・空港の雰囲気が、柔らかいのだ。
ああ、日本だあ。と、きっと僕は空港を出ても一人でまわりをきょろきょろしながら
顔が緩みっぱなしなんだと思う。
他人から見たらきっとちょっとした変質者だ。帰ったらまず我が家の愛犬クッキーが
家族の誰よりもハイテンションで迎えてくれる。(ううう、優しい奴だ・・涙)
毎回、母親に言われるがどうやらモスクワに住んでいて帰国してくると、
かなり臭いらしい。駅からの迎えの車に乗り込むや否やいきなり
「臭いわねーー!!」ときたら、少なからず傷心する。
お!!息子の帰国、感動の再開か?お!!来た来たうちの車☆と思って笑顔で
乗り込んで第一声が「あんた臭い」はね・・。でもモスクワの友人も
皆言われるらしい。特に寮生は。あの寮はたしかに独特の匂いがある。
日本から帰って、まずモスクワの空港で「うわーー、まじで帰ってきたわーー。
このなんともいえない雰囲気。」とまず一発目に思い、
車で寮に着いてドアを開けて「うわーー、夢じゃない。まじで帰ってきたわーー。」
と二発目のたしかな手応えをくらうのです。
 
さてさて今年の夏は韓国やら札幌やらとけっこう行動範囲が広かった。
七月に毎年行っている絆コンサートをカザルスホールで行い、その後すぐに韓国へ。
韓国には今の住んでいるルームメイトの友人の所へとお邪魔して、
一日五食は食べてたんじゃないかと思うほどつねに食べ歩いていた。
以前韓国の人について書いた事があったが、今回肌で感じたことをまた、次に書き
たいと思う。

そして、北海道では高校からの親友の奥泉というチェリストとの
おしゃべりコンサートを行った。二年前に一回目をして本人らもお客さんも
楽しんでくれて今年も二回目をする運びとなった。
トークを挟みつつ曲を弾くのはなかなか難しいが、聴衆の空気が直に伝わる分楽しい。
自分らがやりたい「聴衆と密接なコンサート」は毎回スリリングだが
非常に得るものも多い。昔からこの友人とは色々馬鹿やってきたが、
こういう友人と一緒にいると日々の生活から童心に帰れる。
お互い海外に出たが話す話は、高校の時の話が専ら多く、
あの時どうだったとかこうだったと夜遅くまで毎日話は尽きない。
そういう思い出を持てたことも本当に幸せな事だと最近切に思う。良い仲間がいて
僕の精神的な支えになってること、いつもありがたく思う。
こういう夏があるからまた一年モスクワで生活できるのだと思う。 


先日、寮近くの動物園(モスクワで一番、でかいらしい。)に、
天気が良いので出かけた。気温もここ二、三日25度前後にまで達し、
半袖でも汗を掻く暑さだ。
学校までの通学路に、その動物園の前をほぼ毎日通るわけだが、
真冬のそこは、やっているのかいないのかわからないほど寂れ、雪に覆われ、
どう経営してるのか疑問に思う。信じられないと思うが、寮で窓を開けてると、
たまに、象の叫び声やトラかライオンの雄叫びが聞こえてくる。
自分だけの幻聴だと言い聞かせていたのだが、あまりにしっかり聞こえてくるもので、
誰かに聞こうか一人で悩んでいたら、先日友人のY氏と話してたら、
「あのさあ、今日寝てたらさあ、外からパオーーンって聞こえてきて
朝起きたんだけど・・。」と言うではないか!!
モスクワで象に起こされるなんて、さすがY氏。
やはり、寮まで動物の鳴き声が届いているのだと、ふたりの中で解決した。
いやいやいや、すごいなあ、音楽院の寮。
モスクワも緑が増え、公園には若者が集いなんとも良い季節がやってきた。
冬の、長い雪化粧の季節には忘れてしまっていた色彩の豊かな町並みに、
心も高揚してくる。人間はなんて単純なんだろうか。
目でも栄養を得てるかのように、草の色や花の色が歩いてるだけで飛び込んでくる。
長い冬なだけ、この季節は格別なのだ。
先日、日本に一週間ほど日本に帰国したが、ちょうど桜の時期当たり、
留学の間は無理と諦めてモスクワに留学した僕にとっては、なんともいえない
プレゼントだった。ああ、日本は良いなあと、しみじみ(老けてきてます、急速に)
思うのです。四季それぞれの日本は、日本に住んでいた頃は、当たり前のように過ごして
きたが、モスクワのような場所で暮らしてみて、初めて噛み締めたくなるのだ。
日本が恋しく、愛しくさえ感じる。
 最近だが、「愛国心」について、韓国人の友人と語ったことがあった。
なんでこういう話題になったかというと、その友人
とテレビでサッカー観戦していた時に、何年か前の韓国日本共催ワールドカップの話に
なったからだ。韓国人の彼は日本人(きっとモスクワで出会った
日本人留学生を見てて)は、自分の国に対して愛国心はないのか?と質問してきた。
正直に言うと、非常に困ってしまった僕は、しばし黙って考えてみた。

   「愛国心」・・・。

生まれてきて、今日まで日本に対して祖国に対して、自分はどう思ってきただろうか、
どう心の中で存在していたのか。
きっと彼らの言う「愛国心」はない気がした。
彼と話していると、日本人は冷めているという。話しているうちに、
これはとてつもなく難しい問題だなあと感じた。簡単に軽く話したら、
そのままそれが彼の日本のイメージになりかねない気がし、
言葉を選び話しあっていった。
話しているとどうやら、日本にはスポーツでもなんでも、何か彼にしたら、
クールに見えてならないらしいのだ。しかし、なにか違和感を感じずにはいられないが
その時に言葉にはできずただ話を聞いた。
  サッカー応援でも国交問題でも、たしかに日本と比べて韓国はすごいパワーである。
サッカー応援中(テレビで)に何人か興奮しすぎて、韓国で死ぬ人が出たと聞いたときは
正直顔がひきつった。そして、じゃあ君は?韓国を愛してる?と聞くと
ものすごい勢いで「当たり前だ!!」と返ってくる。
なにか、むきになってるような気もしなくはない。ワールドカップの韓国のサポーターの
応援をテレビで見てすごいと感じるより、恐いと感じてしまったのは僕だけだろうか。
  一言に愛国心といっても、色々な感じ方があるのだと思う。
第二次世界大戦中は、日本も愛国愛国と掲げてきたかもしれない。
むしろ、それは強制であって、すでに愛国心でもなんでもないと思うが。
そして今の日本は豊かな環境の為か自分の国の事より
個人の事に意識があるのは否定できない。
でもどうだろうか。愛国心というのは、国民全体で持つ義務ではなく個人の中に
個人の感じ方であってもいいのではないかと思ってしまう。
どちらが良いとは絶対に言えないし、言う必要はない。
僕が最近感じた僕の日本に対しての「愛国心」は三年ぶりに見る鎌倉の桜を見た時に
素直に日本が好きな事を再確認した瞬間である。それでいい気がする。
味噌汁飲んでため息でる瞬間もやはりそうだ。
でも、それは彼らには伝わらない部分で、それを彼らは愛国心とは呼ばない。
そしてそこに価値観という大きな壁があるのを感じる。もちろん良い仲間だし、
よくいろいろな話をして夜まで語り合うが、こういう部分もちょくちょく話
してて存在するのは、やはり違う国に生まれ育った者が、同じ場所で学ぶからだろう。
これからもいろいろな国の人たちと話したら
きっとたくさんの興味深い話に出会う気がする。
今年の冬は例年より、暖かいと皆で話していたこのモスクワの気温も、    
今日(11月30日)でマイナス10度を迎えた。僕がモスクワに留学して三回目の
冬になる事になる。
一年目、想像もつかない寒さに不安になりながら飛行機に乗り、
たしか九月末には雪が降ったのを覚えている。
60年ぶりだかの大寒波で、来た年からモスクワの洗礼を受けた気がした。
はっきり言ってマイナス10度以上はもうあんまり変わらない。
寒いとかじゃなくて、「痛い」に変る。
寮の玄関のドアを開けた瞬間、鼻毛が音をたてて凍ったのには本当に驚いた。
真冬になると室温と外気温の差が50度近くなる。
暖房はしっかり働くので室内は快適に過ごす事が可能なのだが、
外は歩道は固い氷の板に覆われしょっちゅうこけている人に出くわす。
僕も何回かこけたが、冬はみんな歩き方がペンギンのようになり小幅でちょこちょこと
歩く。ロシア人の大男も冬は情けない歩き方になるのだ。


さて、以前書いた室内楽の事をもう少し書きたくなりました。
あれから何度か寮や学校で合わせを重ね、初レッスンに行った時のこと。
レッスン室に入るとびっくりするぐらいの大男がレッスンをしていた。
・・・・・この人が、アレイネフ教授?・・・・でかすぎ!!!
見た目にびびりまくりサーシャ(チェロの男の子)と生唾を飲みながら、
挨拶をしたのを覚えている。ア−ニャは先生とはもう一年学んでいたから
たんたんと楽譜や、譜面台の用意をしていたのだが男ふたりは萎縮してぽつんと
部屋の隅に立っていた。(こんな恐そうな人が男に厳しくて女に甘いのか!!
ありえん!!ほとんど見た目、鬼々島の鬼やんけ!!)と内心世の中のあり方を
呪いつつサーシャに目をやると、彼もまだびびってるのか、
譜面台がうまく開けないであたふたと慌てていた。(サーシャ,しっかり!!
手震えてるよ!!ネジは左回りで緩まるんだよー反対回してどうすんねん!!)
ともう情けないくらい男二人は怖じ気つつ準備に取り掛かった。
今思い出すと吹き出しそうになる初レッスンだった。
あんなに大男なのにレッスンは非常に細かく丁寧で一小節ずつ止めては、
ミクロ単位に指導するレッスンで、室内楽を本格的に初めて受けてみて
三人とも興奮して部屋を出たのを覚えてる。男に恐いと聞いていたが、もう5回ほど
受けたものの、その恐さにはありがたいことに、まだお目にかかっていない。
12月にこの三人で試験に望むのだが、言葉の壁のようなものは
音楽でカバーできると身を持って実感できる授業だ。

 以前味噌汁が手放せない位毎日飲んでると書いたが、最近は韓国料理に
はまっていて、コチジャンが大活躍。
なんでもコチジャンを混ぜて新陳代謝がやたらと活発な今日この頃。
師走目前のモスクワは日本のような華やかさはないが、静かに降り注ぐ雪が
街灯に照らされて、ふとロシアを感じる瞬間、
自分がモスクワで生活していることをたしかに感じる。
何年後かにモスクワの生活が終わり日本に帰ったら、この季節、この景色が恋しくて
たまらない自分であって欲しいと切に思う。
11月1日、コンサートにて。(中央)アシスタントのアンドレイ
(右)ナターリァトゥルーリ
音楽院 レッスン室にて
ボリショイ劇場       白鳥の湖等 数多くのバレエやオペラが初演された劇場
 音楽院大ホール
  音楽院前のチャイコフスキー像
 寮近くの通り
 24時間営業のスーパーマーケットにて                                         
    十月に入って気温も一桁に入って、吐き出す息も白くなった。
先日、大ホールで、第一回チャイコフスキーコンクールの覇者、クライバーンが、
久しぶりにリサイタルとピアノコンチェルトを引っ提げて、モスクワに来た。
学校には、宣伝の立派な垂幕が出て、
チケットは、5000ルーブル(約二万円)以上もし、学生は案の定、
学生証で入ろうと待っていた。一時間前から、一度生のクライバーンを
拝みたくて入れるかもわからないのに、デモのような雰囲気でものすごい数の
学生で大ホール前はごった返した。

音楽院で、催すコンサートは、大概音楽院の学生は無料で聴くことができる。
貧乏な学生にとって、たくさんの優れた音楽、芸術を聴く機会を惜しむことなく
与えてくれる、この国のそういう所は本当に大好きだ。
しかし、今回のような五年に一度あるかないかの、ビッグイベントは、
チケットは飛ぶように売れ、空き席はなく、おまけにプーチンも聴きに来るとあって、
警備は半端じゃなく学生も入れないとチケット切りのおばさんに言われた。
しかし、ここからが、貧乏学生の本領発揮である。誰かが先頭に立って、
みんなで大声でヤジるのだ。口々に
「僕ら有能な学生に良い音楽を聴かせる義務があると、プーチンに伝えろ」
だとか、もうめちゃくちゃだ(笑)
なかには、いままで、何回か見たが、チケット切りのおばさんの目を盗み、
横から柵を超えて強引に強行突破し、階段を駆け上がる学生もいる。
それに気付いたおばさんは警備員に「捕まえて!!」と叫び、
そこからはみんなでその「英雄」を口笛を鳴らしたり、拍手をして応援するのだ。
警備員もものすごいガタイで追いかける。
絶対、僕はそんな真似は、しないと毎回思う。
そしてあえなくその「英雄」の彼は首根っこを乱暴に捕まれ蹴りだされるのだ。
痛そうだが、彼はニコニコしながら、みんなに、手を上げて拍手に応える。
こういう瞬間、日本では感じることのない、音楽への貪欲さを感じ胸が熱くなる。
結局その日のコンサートは学生は入れなかった。残念。
ソビエトが初めて国際コンクールを催し国をあげての大々的なイベントとして
チャイコフスキーコンクールを作った。
そしてその初代優勝者が、あの有名なクライバーンである。
ソビエトはもちろん最初の優勝者は我が国から出したいと、出場者の選考は
国内でコンクールを行い、厳選し完璧な条件を整え
ソビエトはピアニストをコンクールに送り込んだのだ。
だれもアメリカの田舎からやって来たこのアメリカ人を
意識するもの等いるはずもなかった。
審査員に座ったピアニスト、リヒテルは一次予選からから最後まで
クライバーンに満点を入れ、他の出場者に0点をつけたという事実がある。
圧倒的な演奏でロシアの聴衆を虜にしたのだ。当時アメリカとロシアの国交は
皆無に等しく、非常に緊迫した時代にあり、その時代にロシア国内のコンクールで
アメリカ人が優勝する、このセンセーショナルな出来事は、
今もロシア人にとって彼が特別な存在な事を意味している。
その後、あまりの多忙な演奏スケジュールに精神と腕を壊し、長い間人前から
その名前は聞かなくなっていた。一度日本でもその名前を聞いたが
その演奏がどうとかまでは、なぜか表にあまり出なかった。
もしかしたら、もう以前のような彼のピアノはそこにないかもしれない。
でも聴いてみたいと強く思う、だから今回の演奏はもしやと思い楽しみにしていたが、
5000ルーブルはさすがに、手が出なかった。
うーーーむ。いつか生の彼を見てみたい。
九月は、ロシアでは新しい新学期の月。みな新たな気持ちでそれぞれまたモスクワでの
生活に戻ってくる。夏の日本にいた三ヶ月間、日記を更新せず、
あっという間に、九月も終わろうとしている今日この頃。
久しぶりにインターネットカフェにて、キーボードを叩いています。
三ヶ月ぶりのクラスメイト達と会い、授業も始まり、やっと
生活も落ち着いてきた。
久しぶりのロシア語も、友達とお互い、苦笑いしながらも、
休み時間などに、カフェで話している。
言語を習得することは、本当に財産だと、最近感じる。
もっともっと話せるようになりたいものだ。
今年から室内楽の授業が始まり、ベートーベンのピアノトリオを
先生から与えられた。ピアノの先生と形式は同じで、
この学校は一人の先生に門下として入り、レッスンを受ける。
伴奏法も同じで、すなわちピアノ実技の授業では、全部で三人の先生に
ピアノ、伴奏法、室内楽を習う。
先日、夜の一時過ぎに、上級生のロシア人のアーニャと名乗る女の子から、
「あなたが、健太郎?こんにちは。あなたと、私と寮には住んでないけど
チェロのサーシャ、この三人で今回トリオ組むことになったわ。よろしくね!!」
と、満面の笑みでいきなり部屋に訪ねてきた。
僕はというと、もう寝る気満々で、ベッドに入っていたので、
かなり、不機嫌な顔でドアを開けたら、そこには、あまりにテンションの違う
知らない人がいたので、ただただ口を開けて、話を聞いていた。
「それでさっそくなんだけど、これ楽譜ね。
明日とりあえず合わせようと思うんだけど、何時がいい?」って。
え?・・・・あした?しばしばロシア人の弾丸トーク(自己中心的な)には
遭遇して来たが、今年もやはり、この勢いに揉まれるのだなあ。
とロシアに帰ってきて、早くもこの状況を一人呪った。
次の日夜八時からという約束をし、その日は枕を濡らしながら
床に就いた(嘘です)。まだ室内楽の先生が発表される前に、
彼女からミハイル・アレイネフ教授という先生が僕らの先生なのだという事を
知らされた。高校の時に何度かトリオはやったことがあったが
ロシア人二人とトリオを組むのはもちろん初めて。正直楽しみではある。
そして次の日、初合わせで、三人の初顔合わせでサーシャと挨拶を交わした。
僕と同じ二年生で、優しそうな印象を受けた。
そして昨日の例のアーニャは、下級生の僕らを引っ張ろうとしているのか、
昨日とは違いすこし真面目な感じ。合わせてみたら、
それといって、問題もなく楽しく時間は過ぎた。
アーニャは三年せいだから、もう一年アレイネフには就いているので、
サーシャと二人で沢山先生について質問をした。
・僕「どんな先生?」
・アーニャ「女に優しくて男にはすごい恐いわ。」
   男二人、石化。
・サーシャ「性格は?楽器は先生は何が専攻?」
・アーニャ「先生はピアニスト、だからケンタロウは特に厳しいわ、きっと。
性格?お酒大好きで、たまにビール臭いわ。でも良いレッスンよ。」
・・・・・アレイネフ門下万歳。
とにかくこんな会話が続き、初合わせは終わった。初レッスン、楽しみだな☆
その先生の事は以前から知っていて、門下のコンサート等聴いたこともあり、
良いクラスだと興味を持っていた。とにかく、頑張るしかないので、
この三人で、楽しく厳しく音楽しようと思います。
室内楽は前から興味があったのでどっぷり浸かろうと、今からウキウキです。
5月に入りモスクワも毎日青い空、気持ちの良い気候になってきて
最近は気温も20℃くらいが平均となり、非常に良かったーーって思ったら、
今日(5月14日)気温2℃!!なにこの落差!!
雪はパラつき、昨日まではTシャツだけだったのに今日はダウンを羽織って登校しました。
寒い!!
そしてついにやってきました。お湯が全て出なくなり、水しか出ない生活
となりました。気温が下がったのを見計らったかのように・・・・。
さすがに精神的にも厳しいです。食器洗いも真水。シャワーも真水。
この時期は本当に勘弁してほしい。
女の子たちはバケツにお湯を沸かし、それを持って地下のシャワーへ行き、
水と混ぜて体を洗ってるらしい・・・・それは面倒くさいから、
水を頭からかぶるのが男性陣。無論悲惨な光景だが・・・
考えてみると過ごしやすい季節はほぼ無いような気がする。
しかしそうも言ってられないので毎日鼻たらしてがんばりまーす。

今モスクワ音楽院は5年生の卒業試験が間もなく始まり、
この試験は国家試験であり非常に大事な試験なのです。
実技、伴奏法、室内楽、語学、など本当に5年生は今きっと生きた心地はしない
のではないか・・来週から実技が始まります。
プログラムには規定があり、
ポリフォニー(バッハ、ショスタコーヴィッチ、シチェドリンなど)、
古典のソナタ、ロマン派の作品、ロシアの作曲家(ラフマニノフ、プロコフィエフなど)
そしてコンチェルト1曲、と一人に与えられるプログラムが
試験にしてはなかなか重いのである。
1年生の僕はまだ先のことなので聞くのを楽しみにしているが、
彼らは今、目が殺気立っている・・・

実技のほかに伴奏法やら何やら吐きそうなくらい立て込んでいて、
本当に忙しそうだ。
去年の卒業生にコブリンやイム・ドン・ヒョクなど
いまや有名なピアニストがいっぱいいたので、今年も楽しみだ。
これだけのプログラムだから一日やそこらでは到底終わらなく、1週間くらい続く。
時間があれば聞きに行きたい。
5月、6月は学期末なので、全学年試験尽くめでなかなか忙しいのだが、
こうも寒かったり暑かったりすると、脳みそもおかしくなりそうだ。

しかし生活一般、モスクワは最近急激に変わってきていると思う。
道路はホントに5台に3台は外車が走り、(ベンツ、BMW、ホンダ、日産など)
この国に来て、生活に困ったことはまだあまり無い。
そりゃあお湯が出なくなったり、便器に便座が無かったり色々あるが、
特に食べ物に関しては日本とほぼ変わらない。
24時間のスーパーマーケットがあり、日本のビールや豆腐まで売っている。
ソ連崩壊後の、店先に何も無い時代からは想像もできないと思う。
食事は吐くほどマズイと聞いていたが、全然そんなことは無く
ロシア料理は本当においしい!!
乳製品やボルシチ、水餃子に似たペリメニピロシキなどおいしいものはたくさんある。
僕も自炊をするときもあるが、ボルシチはたまに作って食ってます。
男の慣れない自炊ほど悲惨なものは無いと思う。
最初、米を鍋で炊いて炭と化した思い出は忘れられない。

日本にもうすぐ帰るが、また友人に浦島太郎扱いされるんだろうなあ・・・
一昨年の冬に帰ったとき、「ボブサップ」を知らなくて
よってたかってバカにされたこともあった。
そして今、僕の髪の毛は4ヶ月切ってないので、実験に失敗した科学者のような
頭になってます。
帰ったら即効切りにいくのだが、行くのも恥ずかしい・・・。
夏は東京でコンサートをやるので、興味がある方は来ていただけたら
嬉しいです。
とにかく!!風邪を引かないように気をつけます。
日本はもう初夏のような過ごしやすさだろうか・・・?

                2004.5.14 ロシアにて




さあ、やっと春らしくなって、モスクワも過ごしやすくなってきたなーと
思った矢先!!!
忘れていた・・・・ここはモスクワ・・・
不意打ちのごとく冬に戻った。気温−10℃・・・(4月2日現在)
最悪である。
やっと気持ちも上向きに、笑顔で外を歩けると思ったら、また肌に突き刺さるような寒さ。
授業のため、バスを待つ時間は地獄に等しい。
ちょっとした遭難者のような顔で通学である。
意地でも風邪を引くものか、とこれから気温の落差と戦う決意!!


先月はなんか気づいたら最初から重い内容を書いてしまったため、
今回は、モスクワでの日常や学校の話をしようと思う。

学校は普通科目を除いて土日もあいていて、
レッスンやらなにやらと7日間びっちりある。
今の僕の授業は和声、音楽史、ロシア語、伴奏法、実技がある。
音楽史と実技は週2回あり、あとは週1。

そして、僕の住んでいるところはというと「学生寮」。
決して日本のような寮を想像してはならない。ロシアの学生寮・・・
なんでもそうだが名詞の前に「ロシア」と付けるだけですごい迫力である。
はじめて寮に入った瞬間ことを今もハッキリ記憶している。
まるで牢獄のような雰囲気・・・
5階建てで、もちろん階段のみ。トイレは蓋がない。
デザインかと思ったら違った。ただ付いていないのである。
あまり汚い話はしたくないが、ここで半年住めば日本に帰って
まず、便器に座る行為がすごく違和感を感じるようになる。
とても悲しい癖が染み付くのだ。
そして日本のようにトイレットペーパーなんて置いていない。
持参が当たり前!!
部屋にはトイレも風呂も電話回線もなく、ただの部屋しかない空間。
あり得ない弾き心地のアップライト1台とテーブルと椅子。
それがここの生活のはじまり。
共同トイレ、共同シャワー、なんでも共同。

みんな仲良し!!・・・

最初はただトイレに行くにも戸惑いオロオロしていた僕。
今は立派にロシア人に混じってもみくちゃに生活している。
シャワーはお湯がシャワーからは出なく、
パイプ管から直接滝のように頭蓋骨へたたき落とされる。
髪が全部抜け落ちるのではないか、というほどの水圧。
となりに人が来てお湯を出せば、こちらのお湯は一気に水になり、
必死にお湯の蛇口をひねって彼らと「快適な温度」のお湯を求めて戦うのである。
そして、去年もそうだったようにあと1ヶ月もすれば、
お湯はモスクワ中でなくなり、真水のシャワーで
修行僧並みの覚悟でシャワーを浴びなくてはならない。
この季節に水道工事だかなんだかで必ずお湯は一切出なくなるのだ。
噂では聞いていたが、実際経験すると
こんなにツライ作業はないのではないか、と思うほどキツイ。
半端じゃない。
やることなすこと半端じゃないロシア。

シャワーに行く途中で浴びた人とすれちがうと、
唇が紫色になり、ガタガタ震えながら階段を上っていく光景をかならず目にする。
まるで海で寒さに耐えながら救助を待つ遭難者・・・・
次は自分だ!!あの人は10分後の自分の姿!!
と震えあがりながらシャワー室の鉄扉を開けるのだ。


さてさて寮の話はこのくらいで
(また話したくなったら、書くかもしれないが)
学校のことをもうすこし。
僕の通っている学校には
大ホール、小ホール、ラフマニノフホールと3つのホールがあり、
ほぼ毎日コンサートが行われている。
それは学生のコンサートから、国内外のプロの音楽家まで本当に幅広く行われている。
ついこの間、ピアニストのエリソビルサラ−ゼの
大ホールでのリサイタルを聴いてきた。
音楽院の学生であれば、ほとんどのコンサートは
学生証を持っていれば無料で聴くことができる。
これは本当にすばらしい!!!
その日のプログラムは前半にチャイコフスキーの小品、
後半にプロコフィエフのソナタ2番とサルカズム、トッカータだった。
日本でもかなり有名な彼女は、もちろんモスクワでも
人気の高いピアニストで、洗練された音が本当に神がかっていた。
この日も特にサルカズムが僕は感動した。集中力が並みではない。
行きたいコンサートは山のようにあるのだが、
忙しくて本当に絞らないとコンサートはなかなか行けない。
13日には、中国の天才青年ランランが
大ホールでラフマニノフのコンチェルト2番をゲルギエフ指揮で弾く。
今から楽しみなコンサートだ。

日本の桜を見ることは後何年先かわからないが、
日本が恋しくなる自分を見て、ああ、僕は日本人だなあ。。とつくづく感じる。
インスタント味噌汁はしばらく手放せない!!
ではではまた来月!!

                    2004.4.2 ロシアにて



僕は高校を卒業した9月にモスクワ国立音楽院に留学した。
人生はじめての1人暮らしがまさか海外だとは予想もしていなかった。
留学しようと決意したのは、モスクワでの先生(ナタリア・トゥルーリー)
に中学の頃から先生が来日する度にレッスンを受け、モスクワでの
勉強を強く勧められたことから始まったのである。
ハッキリ言ってロシアがどんな国なのか、よく知らないし、
知っていることと言ったら、でっかい帽子をかぶる国としか認知していなかった。
そしてモスクワに来て1年半が過ぎ、色々と感じることを書いてみようと思う。

モスクワに来てショックを受けたことは数知れない。
まず最初に感じたこと、それは人が決して ”愛想笑い”をしないということ。
まるで笑ったら負け!!というか、とにかく笑わない!!
こっちが笑顔をみせても、ほとんど返ってこない・・・・う〜〜ん・・
自分の笑い顔がむなしく感じるのである。
しかし笑わない訳ではない。
日本との教育の違いで、働いているときに笑うのは失礼に当たるらしいのである。
でも日本人の僕にとって、そこで笑顔をもらえたらどんなに不安が和らぐだろう!!
と、いつも思う。

しかし1年以上生活して、外からみた日本にも疑問がいくつか出てきた。
たしかに日本は「サービス」という意味では世界的にみても並ぶ国はない。
マクドナルドにいけば「スマイル0円」と書いているくらい。
お客に対してのサービスときたら徹底している。
しかし、最近思うのはそういうことに慣れていくと ”自分を出す”
ということに、どんどん鈍感な人間になっていく気がする。
喜怒哀楽を出すのが下手になるということである。笑顔がマックのように
文字通り安い国にいると、モスクワに来たときにやはりすごい衝撃を受けるのは無理もない。
彼らが1日中笑わない訳ではない。
ただ、愛想笑いをしないのである。
ロシア人の友達はいるが、彼らは良くも悪くも正直。日本人のように
表では繕っていても、裏では文句をたれると言うことはない。
だから、怒っている、喜んでいるということが本当に接していてよーくわかる。

演奏に人間が出るというのは本当で、彼らの演奏にはハッキリとした主張が
あるように思える。
雑であっても何か伝わるものがある人もいるし、とにかく主張が演奏の中で
ハッキリ見える。
こっちにきて演奏するときに、自分がいかに自分というものを表に出しきって
いないかを気づかされた。
自分を表現しているつもりでも相手には伝わらない。

こういったことが、本当にレッスンでよくある問題で、それはもしかしたら
日本の便利である生活の反面そういった感情、
自分の内面の象徴を表に出すことに慣れない環境に浸ったことも
原因の一つなのかもしれないと思うのです。

「自分」を表に出す!!その壁が越えられた時にきっと何かが見えてくると思い、
生活の中から相手に対して黙っていないでハッキリ自分の意見を言おうと
心がけています。

どうでしょうか??
なんだかものすごく1回目から重〜いことを気づいたら書いていました。すいません!!

日本から見てロシアはやっぱりまだまだ遠い国なんだとよく感じます。
日本に休みで帰る時に必ず20回は聞かれる質問、それは
「ロシアって寒い?」である。
留学して最初の頃は、細かく説明したが、最近は即刻
「寒いよ〜」これのみである。
あまりに聞かれるので
「ロシアが寒くなかったら、どこが寒いんじゃあぁぁ〜〜!」
と心で思うのである。
先日、帰国したときなど友人の父親に
「けんたろう!どうだ ソ連は? 慣れたか?」と言われた。
今はソ連ではない。ロシアである。
ちなみに大統領は、プーチンである。
訂正したかったが、悲しくて何も言えなかった。まだロシアという名前も
馴染みがない人もいるのか・・・・。
ですから、少しでもこの日記を見てロシアのことを「へー」とか「ふーん」とか
思っていただけたら幸いです。

少し無理矢理なまとめではありますが、1回目はこんな感じです。
ではでは。。。。。

                04.2.29 ロシアにて






Feb-2, 2004